「差」 睦緋
ジェイドは幼い頃からその日が非常に嫌いだった。
それは喩えどんなに知識を身に付けようと、どんなに強力な譜術を修得しようと、どうする事も出来ない事で。
だからこそ、尚の事腹立たしいのだ。
『本っ当、お前は分かり易いヤツだな』
いつか、もう一人の幼馴染みが笑って言った。
毎年やけに不機嫌になるジェイドを見て、当人より先にその理由を理解したピオニーに言い当てられてしまった時の羞恥を今でも忘れない。
そして今年もまた、その日が近付いて来る。
◇◆◇◆◇
「ハーッハッハッハッ!さぁ盛大に祝いなさいっ!今日はこの天才ディスト様が降誕した記念すべき日ですからね!国を挙げて祝う事を許して差し上げましょう!!」
ピオニーの私室で高らかに宣言するディスト。
「おいコラちょっと待てサフィール。忘れてるかもしれんが、お前は一応罪人なんだからな」
「ふん、羨ましいのですか、ピオニー?」
「そうだなぁ、俺の場合は否応なく祝われちまうしな。俺もたまにはお前みたいに誰にも祝われない誕生日を過ごしてみたいぞ」
「どういう意味ですかっ!?」
「何だ何だ、自分で天才とか言った癖に分からないのか?」
「キィィィィィ!!」
お約束の地団駄に、傍観に徹していたガイは表情を引き攣らせた。
「陛下、遊んでないで公務に戻って下さい」
「なーんだジェイド、いつにも増して不機嫌だな。ポーカーフェイスが形無しだぞ」
「………貴方には関係ありません」
かちゃ、と掌で目許を覆ってジェイドが眼鏡の座りを直す。
「へぇ…」
ピオニーの顔が、にやん、と楽しげに歪められる。
何でも見抜かれてしまいそうな蒼い瞳に見詰められるとどうにも居心地が悪い。
「……次に私が来た時仕事をしていなかったら、どうなるか分かっていますね…?」
「Σえ、ジェイド!?待って下さいよっ」
笑うピオニーを睨み付け、ジェイドはガタンと音を立ててピオニーの自室から出て行った。
後を追うディストの声に、更に苛立ちを覚えた。
◇◆◇◆◇
ジェイドが(本当に珍しい事に)荒々しく出て行った扉を呆然として見送ったガイは、腹を抱えて笑うピオニーに向き合った。
「大丈夫なんですか?ジェイド、かなり苛立ってるみたいですが…」
「なあに、心配要らん。いつもの事だ」
「いつも、って…」
「アイツな、毎年この時期になるとああなんだよ」
「だったら尚更…!」
「分かってないな、ガイラルディア」
若者を諭すような声と表情で、ピオニーが笑う。
「ホントに嫌いなら、誕生日なんて覚えてる筈ないだろう?」
その言葉で漸く察したガイは、暫しの間硬直したままだった。
◇◆◇◆◇
執務室に戻るジェイドの後ろから、一人分の足音が続く。
時折小走りになるそれに思わず笑いそうになって、ジェイドは内心慌てて表情を取り繕った。
――ガチャ、
――コツコツコツ、
――ぱたぱたぱた、
「…何故勝手について来るんですか」
「ジェイドが行く所ならどこまででもついて行きますよ」
さも楽しそうに笑うものだから、ジェイドは呆れてそれ以上何も言えずに椅子へと腰掛ける。
「お茶淹れますね。紅茶でいいですか?」
「ああ…お願いします」
少しして、紅茶の香りが部屋の中に充満し始める。
ジェイドの好みを熟知しているディストの淹れる紅茶は、当然のようにジェイド好みの香りだ。
「ねぇ、ジェイド…」
机に紅茶の入ったカップを起き、おずおずとディストが口を開いた。
「私、その……欲しいものがあるんですが…」
ディストが自分からそう言うなど珍しい。
僅かに逡巡した後、ジェイドはにこりと笑った。
「妙な事言ったら摺り潰しますよ」
「Σ何をですかっ!」
“何か”を握り潰すジェスチャーをするジェイドの笑顔はどこまでも爽やかだ。
「それで、何が欲しいんですか?内容によっては叶えてあげない事もないですよ」
「ほ、本当に、いいですか…?」
「本当ですから、さっさと言いなさい」
よっぽど欲しいものなのだろう、ディストが目を輝かせた。
「では……あの…、……祝いの言葉を――…」
「お断りです」
ディストの言葉が終わらないうちに、ジェイドはそれを遮った。
「じぇ、ジェイド…?」
ジェイドの機嫌が急降下した事に気付いたのだろう、ディストが窺うように見上げてくる。
その視線から逃れるように顔を背けると、ディストは息を詰めて俯いてしまった。
「いつもいつも、ジェイドは何も言ってくれないんですね…」
沈んでしまった声音。
先程までの上機嫌が嘘のような陰鬱な雰囲気に、ジェイドは小さく溜め息を吐いた。
それは自分に向けたものなのだが、ディストは勘違いしているようでビクリと肩を震わせた。
(少し苛め過ぎたか)
祝いの言葉など絶対に贈りはしないが、
「洟垂れ」
たまには、喜ばせるのも悪くはない。
「っ、私は洟など垂れて…――!!!?」
もはや条件反射のように言い返そうとしたディストの顔に手を添え、軽く触れるだけのキスを。
「今は精々年上気分を堪能しておきなさい。……すぐに追い付いてあげますから」
真っ赤になったディストにそう言えば、よく分からない悲鳴を上げて抱き付いてきた。
それを珍しく素直に受け入れ、ジェイドは綻びそうになる顔を隠すようにディストの肩に額を押し付けた。
‐End‐